わっさわさ

セカンドシーズン

産婦人科卒業②(mm)

お祝いムードの分娩室に小さな赤ちゃんの泣き声が聞こえ、私もホッとしていた。

ようやく終わった…。夫の方を見ると「頑張ったなぁ、よかったよかった」と言ってくれている。後はもうゆっくり身体を休めたい…そう思っていた。

 

しかし、段々とおめでとうムードの分娩室が、おめでとうムードではなくなっていった。

胎盤出すよー」先生がそう言ってお腹をグニャグニャとずっと触られていたのだけど、そのまま30分あまりが経過していた。

胎盤出ないね?」「おかしいね?」「エコー持ってきて」と聞こえ、院長先生の

「あのね、胎盤が子宮にくっついてるわ。これはもう自然には出ません」

「今から僕の手で剥がすから。気持ち悪いよ」という台詞と共に、お腹の中がグニャグニャした。胎盤を人の手で無理矢理剥がすというのは大変な行為らしく、院長先生のメガネに血しぶきがどんどん飛んでいた。

 

癒着胎盤という疾患で、胎盤は子宮と完全に一体化していた。

後から聞くところによると、無痛分娩をしていなかったら子宮摘出に踏み切っていたらしい。無痛分娩をしていたお陰で、痛みなく手で胎盤を剥がしてもらうことができた、良かったと先生は言っていた。

痛みがないから実感が湧かなかったが、2リットル以上出血し、すぐさま輸血することになった。

人間の身体には血は5リットルほどしかないらしく、半分が出血すると死に至るという。

輸血の同意書を書いて!と言われ、サインしながら抗えない眠気がやってきて意識が遠のいていく。眠気なのか意識がなくなったのか分からなくなるような感じだった。全身麻酔を受けるときの感覚に似ていた。

 

輸血の血の型が合わなくて、顔がパンパンに腫れ上がり蕁麻疹が出て、血の種類を替えてもらい、そのまま分娩台の上で結局トータル24時間過ごすことになった。

日曜日の16時前に出産したが、分娩台の上のままもう0時をとっくに過ぎて月曜日になっていた。

 

そのうち麻酔が切れてきて、身体中の痛みに気付き、めちゃくちゃ疲れているのに眠れない、という極限の状態を迎えることになる。

両腕に輸血、抗生剤、痛み止めなどの6本の点滴と、血圧をはかる機械、お股には導尿と子宮からの出血をおさえるためのバルーンと、子宮からでてきた血をためるための管と袋が繋がれている。

お産を含めてももう何十時間も体制を変えていないこともあって、腰がめちゃくちゃ痛い。

 

次の出産の人が来るからと、管だらけのまま別の部屋に移されて深夜になったが、午前3時になっても4時になっても、身体中が痛くて、管だらけで寝返りが打てなくて、眠ることもできない。足にはポンプみたいなものがつけられていて体制は変えられない。

眠剤が欲しいと言ったけど、断られて

こんなに苦しいことってあるかなあ…そもそも赤ちゃんはどこに行ったんだ…?と思いながら2時間ほどウトウトしたら朝が来て朝食で起こされた。

 

何も食べられないままお昼を迎えたが、ようやく管を外してもらえて普通に横になることができた。

その日少しだけ、赤ちゃんが部屋に来て、母乳をあげるように言われ、朦朧としながら母乳をあげて、夜を迎えた。

結局、退院するまで体は極限に疲れているのに脳が興奮していて睡眠薬なしでは眠れない日が毎日続いた。

今思い返すとこの時点で母乳をやめて、ミルク育児をしていれば体調もいくらかマシだったと思う。だけど病院の方針でとにかく母乳をあげるように言われて、母乳を何度も何度もあげ続けた。極度の貧血になっていて、毎日点滴と鉄材の処方をしながら母乳をあげるのはどう考えても苦しすぎると今でも思う。ゆっくり寝たいのに、毎朝点滴のために起こされるのが辛かった記憶がある。

 

通常4日の入院予定が9日間まで伸び、コロナで誰とも面会を許されない中、赤ちゃんと同室の日々が始まった。赤ちゃんが泣いて母乳をあげて、ミルクもあげて、少し眠って、を繰り返して昼夜なく時間が経っていった。

赤ちゃんは小さくて可愛かったけれど、とてもじゃないが可愛いという感情が湧く余裕はなく、しんどくて、休みたくて、でも眠れなくてただただフラフラだった。出産は交通事故なみというが、本当に交通事故ばりの出血をしたのでそれはそれはなかなか回復しなかった。

 

退院の日を迎えて、家族が迎えに来てくれた。

実家で3週間ほど育児をしたが、とにかく体調がもどらない、出血し続け、夜は起き続ける。

今、赤ちゃんが夜通し寝てくれて、その日々が1ヶ月続いた頃に体調の回復をようやく感じた。それまでは、赤ちゃんが夜通し寝てくれてもお昼間も一緒に寝ないと身体がもたなかった。

母親が赤ちゃんを見て「可愛いなあ、可愛いなあ」と何度も言ったが、私には子を可愛いを感じられる心の余裕がないまま日々が過ぎていった。

 

友達が遊びに来てくれたりして、生後2ヶ月の頃もまだ余裕はなかった。友達の赤ちゃんが泣いたりすると、それを受け入れる心の余裕もなかった。近くのスーパーまで出かけて帰ってくると、言いようのない疲れが全身を襲ってきて、その後は倒れてしまい何もできなくなったりしていた。

 

とにかく休みたくて、寝たくて、(でも寂しいから友達とは会っていて、しんどいけど友達と会うことで気が紛れたいた)以前の投稿の母乳アクシデントなども一通り経験し、赤ちゃんが生後3ヶ月を迎えた今、ようやく正常な状態に近づきつつあり、赤ちゃんがとても可愛いと思えている。

 

赤ちゃんを抱っこしたり、授乳したりで、左腕の痺れがとれないとか、腰が痛いとかの外科的な痛みはあるが、産後謎に続いた涙が止まらないなどのメンタルの変化も一通り終わったように思う。

そして、胎盤はしばらくお腹の中に遺残していてまだ病院に通ってはいるが、もうほぼ全快してきている。出血も3ヶ月間続いたが、それも終わった。

 

今日、最後の母親健診に行き、やっと私の出産が終わったと感じられた。

これでお母さんの健診は終わりです、と言われて、久々の産院に行ったのもあって、陣痛の開始からの日々を思い返した今日。

これを書きながら、娘は今スヤスヤと眠っている。想像以上に壮絶な出産となったけれど、可愛い子が産まれてきてくれてやっぱり良かったなあと思う。

そして様々な大変さがあったとは言え命を助けてもらえて、ありがたいと思い感謝している。

今日で産婦人科卒業。