わっさわさ

セカンドシーズン

産婦人科卒業①(mm)

今日をもって1年間通った産婦人科を卒業したので、お祝いに黒ビールと赤ワイン(何という飲み合わせ)を飲みながらこの記事を書いている。

 

今日、最後の私の産後健診を受けて、たくさんの看護師さんが「ご体調どうですか?大丈夫ですか?」と心配してくれて、「もう本当に大丈夫になりました。ありがとうございました。」とようやくハッキリと言えるくらい身体が元気になってきた。

帰り道に娘を抱きながらホロリと涙がこぼれた。長かったし、本当にきつかったなあ。

3ヶ月になった娘は待合室で新生児に囲まれて、泣くこともなくおとなしくしていた。かわいくてギュっと抱きしめながら帰った。

 

妊娠時から体調が安定せず不正出血を繰り返していた私は、妊娠中に入院こそならなかったけれど、その不正出血が後に起こることの布石ではあった。

 

コロナで陣痛の立ち会いも許されない中、私の陣痛は36時間続き、痛みの強さよりも絶え間ない痛みの波の長さに耐え切れなかった。

金曜日の深夜に陣痛が始まり、土曜日の早朝に入院。

無痛分娩を希望していたものの、子宮口が規定の大きさまで開くのに時間がかかり、無痛分娩の処置をしてもらえたのは陣痛が開始してから丸1日後だった。

 

痛みの間は、看護師さんがお風呂にお湯をはってくれたり、バランスボールを持ってきてくれたりと様々な形で痛みをのがせるように協力してはくれたけどどれも意味をなさないどころか、痛いし、長いし、眠いし、眠れないし、陣痛と陣痛の合間の2分間や3分間で寝落ちしては痛みで起こされていた。

そのうち看護師さんが勤務交代し、夜の看護師さんはめちゃくちゃ意地悪で、陣痛は痛くて当たり前、という考え方の人で朝の看護師さんのようにお風呂やボールの提案もなくただ部屋に放置されるのみであった。

もう耐えきれないと思い、看護師さんを呼び、子宮口の確認をしてもらうが「まだ麻酔はダメ」の一点張り。でもそれってあなたの判断でドクター判断じゃないよね?と思った私はしつこく看護師さんを召喚し、ようやく無痛分娩麻酔の許可をもらった時には、時計の針が0時を迎えようとしていた。

 

無痛分娩の麻酔を打ってもらうために、この深夜に麻酔専門の医師を家から呼ぶらしい。

私は彼が1分でも早く到着がしますようにと心から祈りながら陣痛に耐えていた。痛い、眠い、痛い、眠い、のコンボにもう耐えられないと心底思っていた頃、麻酔科医が到着し、背中に麻酔を打ってくれた。無痛分娩の処置は10万円だったが、私は100万円払ってもいいと思えるぐらい価値を感じた。家族が応援してくれているのは分かっていたけど、痛みと眠気でスマホは開けず、文字通り神様に祈り続けるだけの24時間だった。

 

 

分娩台の上で麻酔を打ってもらい、嘘のように痛みがなくなり、夫と実母が非常に心配してくれているラインを確認し返信したら、すぐにそのまま分娩台の上で眠った。前日の晩から陣痛でほとんど寝ていなかったので倒れるように寝た。分娩台は固いので寝心地は全然良くないが、吸い込まれるようにして寝た。麻酔の影響で子宮口の開きは遅くなるらしいけれど、早朝に目覚めるとちゃんと子宮口は開き始めていた。

 

安心感のある看護師長らしき女性が「お昼には産めるね!」と言ってくれて、いきむ練習を何度も何度もしたがなかなか進まなかった。

この頃になると無痛分娩だけど痛みがないわけではなく、陣痛の波が来ると痛みと共におしりが爆発しそうな感覚になる。誰かにおしりをおさえてもらわないと我慢できないくらい圧迫される。でも痛みのレベルは我慢できるレベル。

いよいよ15時を超え、一体何時間お産にかかるんだ…と思っていた頃、「頭が見えてきたよ!」と言われ、この時だけは夫も立ち会うことが許可された。

無痛分娩をしていても苦しくて身体中汗だくになっていきみ続け、いよいよ頭が出そうになってきた頃に男性医師と男性看護師の2人が私のお腹の上に馬乗りになり「せーの!に合わせて息を吐き出して!」と言われ「せーの!!!」で、苦しすぎてマジで身体が爆発するー!!!!!!!と思った時、ニュルリ、とした感覚で娘が産まれた。不思議な感覚だった。

 

「おめでとうございます!」と言われ、娘を胸の上に置かれて、よくわからない気持ちのまま頭を撫でた。

産まれたのは日曜日の午後だった。金曜日から長かった…と思いながら、夫が赤ちゃんを抱いているのを見ていた。

 

入院開始から36時間が経過していた。

でも本当に大変なのはここからだった。

(続く)