わっさわさ

セカンドシーズン

夫に感謝したい(mm)

おもてだって旦那の惚気を言うことはなかなかできないので、呆れられるだろうけどここに記しておきたい。惚気などごめんだという方はスルーしておいてほしい。

 

私は夫の優しいところや、誠実なところが好きだし、

出会えたことで私の中の何かが確実に癒されているように日々感じている。

一体なにが私を安心させているのかを考えていて、思い当たることがあった。

 

それは、私の中での父親の不在に起因しているように思う。

私の家庭では小さな頃から、父親がいなかった。生きてはいたけれど、いつも家にいなくて、遊んでいて、私たち子どもを教育してくれたことや、育ててくれたことはなかった。

母の口からこぼれるのは、いつも父の悪口、愚痴、あの人はだめな人だということだった。

母は子どもたちにそれを教え込んでいて、

小さかった私は年に数回父親に会う時に、父のことを母の代わりに注意していた。

もっとちゃんとしてください、とか、

お酒を飲まないでください、とかを手紙に書いて渡していたのだ。

母をなんとか喜ばせるために、父を更生しなければいけないとずっと思っていた。

 

まあでも、そんなことで父の行動が変わることはなかったし、私の人生から父の存在はどんどんなくなっていった。

進路を決めるときも、仕事についてのこと、人生で悩んだこと、何一つ父と共有した記憶はない。

何かあったら守ってやるからな、と普通の父親が言うのかどうかは知らないが、そういった姿や態度も見たことがなくて、でも生活の中にいなかったから、特段不便に思うこともなかった。それがないことが、不幸だとも思わなかった。

子どもを育てるのも、何かを相談するのも、母親だけなんだとずっと思い込んでいた。

まあそういう構図がやはり歪んでいて、過剰だったことも後に知るわけだけど。

別に父に虐待されたわけでもないし、生活や教育を受けるお金を稼いでもらっていたのは事実だ。

しかし、結局彼は私の人生の中で特に深く語り合うこともなく、大きな思い出を共に作ることもなく、去っていってしまった。

共に過ごした時間も少なかったので、去っていったときもあまり哀しみを感じなかった。

そういうものなんだと思っていた。子どもというのは、母親だけで育つのだと、父親というのはいなくていいんだとずっと思っていた。

 

夫と結婚して、一緒に暮らすようになって、

彼の行動の中で一番私を安心させてくれたものは、

いつも自分の方が必ず損をする方をとってくれる、ということだった。

この、自分の方が必ず損をする方をとるという行動が多分親っぽさを彷彿させるのだと思う。

 

簡単なことでいうと、例えば大きい方のケーキあげる、とか、あったかい方のお布団ゆずってあげる、とかそんなことなのだけど。

 

彼は周りのほとんどの人に対してそういう態度をとるので、自分の中ではきっと無意識なんだろうけど、

私は精神的にすごく安心したし、

遠慮なく甘えることができるようになった。

 

私の人生の中でポッカリと穴のあいていたところを、優しく埋めてもらった感じがする。

もちろん別に夫を父親としてみているわけではなく、彼を通してなんとなくそういう愛をみたような気がする。

そしてそれは私を大きく安心させてくれたのだ。

 

それから私は母親に遠慮をしていたことに初めて自分で気づいたのだった。

母親にもたくさん甘えさせてもらったけれど、

どこかで母親を助けないととか、そういうことをすごく思っていて、

母親自身も助けてよ、とか私は大変なのよ、というメッセージをよく発してきたので私はすごくその重圧を感じていた。

 

でも彼が私の人生にあらわれてくれて、

私は精神的にすごく救われたのだ。

 

優しく育ってくれて、ありがとう。