わっさわさ

セカンドシーズン

駐妻的生活〜転入届編〜@ジュリ

短期の一時帰国の予定が、諸事情で日本滞在期間が長くなった為日本に転入届を出して、無事に日本在住になった!転入届を出すにあたって私みたいな立場の場合、転入日ってどうなるの?と思って色々調べたけどよく分からなかったので、ここに備忘録を残す。


【状況】

2021年9月下旬

 日本に帰国。COVID-19の水際対策の為、14日間ホテルにて自主隔離。

2021年10月〜11月

 都内に滞在。自由に過ごす。

2021年11月下旬

 実家に帰省。

2021年12月下旬

 駐在地には戻らないことが決定。1月に予定していたフライトをキャンセルする。

2022年1月上旬

 搭乗予定だったフライトで夫のみ駐在地へ。転入届を出す為の戸籍謄本・戸籍の附票を郵送請求する。

2022年1月中旬

 必要書類が到着した為、転入届を出しに実家近くの役所へ行く。


【結果】

転入日は実家に帰った2021年11月下旬になる。日付けに関しては、本人の自己申告でOKで領収書などは求められなかった。

また転入日より14日以内に届を出さなかった為、理由書を記入して簡易裁判所に送ること、場合によっては罰金になることがあるとの説明を受けた。


以上の様な顛末だったんだけど、まさかフライトのキャンセルもしてない11月が転入日になるとは思ってなくて、これで罰金になったら納得いかないなーという気持ちに10秒くらいなった。でも11秒後に「別にこの国は私の納得感を得る為に法律や条例を作ってるわけじゃないし、しょうがないか」と思って納得することにした。救済措置がないことに怒るのは大人気ないので、次は同じ轍を踏まぬ様うまいことやろうと思う。

そんなこんなで11月から日本在住の人間として認められたんだけど、児童手当は遡っての申請はできないから2月分から支給なんだって。転入日遡れるなら児童手当の支給開始日も遡れるやろ!と思ってちょっとイラッとしたのでここに書いてお焚き上げ〜。

転入届の後は、児童手当の申請と子供医療費受給者証の申請、あと夫の会社に国民年金第三号被保険者関係届を出すくらいで書類関係は完了、な筈。

次は子供の幼稚園探しをしなきゃ。4月には安心して園に通えるくらいCOVID-19が落ち着いてるといいな。

37w0d正期産に入る(mm)

妊娠が分かったときは予定日の道のりが果てしなく遠く遠く思えたものだったけど、妊娠後期に入ると時間が経つのも早くなり、とうとういつ産まれても良い時期になった。

 

不妊治療をしていた私は、色んな事が不安で妊娠したことをとにかく人に言えなかった。

安定期に入っても体調が安定しなかったのでなお言えず、緊急事態宣言も重なり人と会うことも少なかったので結局妊娠8ヶ月くらいでようやくぼちぼちと人に伝え始めた。

狭い町で仕事をしているので、1人に話すと立て続けに何十人に広まり、すぐに話をしていない人から「おめでとう!」と声を掛けられたり、連絡が来るようになり、無事に産まれてきてくれるかという不安は払拭されてはいないけど、とにかくもう何が何でも健康にこの子を出産する、できる、と決めて歩もうと心に決めた。

 

同じ学校を卒業した友人が3人、偶然にも同時期に出産することを知り、連絡を取り合えたことで大きく精神的に支えられた。

そのうちの2人は出産する産院も同じだったので、色々情報を交換したが、2人とも私より予定日が2週間早く、そのうち1人は予定日より早く出産した。もう1人の友人も兆候があるらしいので、そろそろなんだと思う。

完全に耳年増となった私は陣痛の痛さや、人によっては長さ、などなどの話を聞きすぎて、震えている。

そういった怖さもあるが、やはり妊娠初期のことを思うと、ようやくここまでこれた、という安堵の方が強い。

喧嘩しっぱなしだった実母はすっかり丸くなり(多分またそのうち喧嘩するだろうけど)、赤ちゃんが産まれてくるという事態により、色んな人が祝福してくれることは本当にありがたいなとつくづく思う。何とかあと少し頑張って、無事に出産したい。

32w3d(mm)

妊娠9ヶ月目に入り、外を歩いていても明らかに妊婦だとわかる体型になった。

昨日ホテルのカフェでコーヒーをオーダーしたら、何も言わずともウェイトレスさんが「デカフェをご用意致しましょうか」と言ってきてくれて、さすがだなと感じた。

コロナウイルスの流行が突然落ち着いて、よく分からない世の中になっている。

 

ゆっくり寝ていたい、だけどずっと家の中にこもっているのも苦手という厄介なタイプなので、お天気が良いとどうしても出かけたくなる。

幸い猛暑も落ち着いて、涼しさが出てきたので夕方以降の散歩は気持ちよくできる季節になってきた。でもマスクは必須だし、お腹も大きいので歩いているとやはり苦しくなってくる。

今日は久々に鴨川のあたりまできて、心地よい風が吹く中のんびり過ごした。

マスクを取って、気兼ねなく友人とご飯を食べたりしたいなあと常々思う。

 

出産まで2ヶ月を切って最近はあんまり仕事してないんだけど、ちょこちょこ終わらせないといけない仕事が出てくるので何にもない状態になりてーと思いながら、リモートで仕事できてしまうので便利すぎるのもどうなのかと思いながら少しだけ仕事をしている。

 

自分が妊娠してみて初めて、安定期の言葉の意味もよくわかり、妊娠後期になると言いようのないしんどさが襲ってくるようになった。

身体のむくみと、眠気、食後のお腹の苦しさ、夜中のトイレの頻度、お腹の張りなど。

まあでも妊娠が判明した頃は、臨月なんてどれだけ先なんだろう?辿り着けるのか?と思っていたのに、もうあとひと月と少しだと思うとそれはそれで言いようのない焦りも感じたりする。

結婚も妊娠も出産も20代の若いうちに済ませた方が、肉体的には楽なのは勿論、サポートしてくれる親も若く、また自分でも色々考えすぎないから良いのだろうなと思う。

 

男の人にとって妊娠を自分ごとに捉えるのは難しい話だろうけど、うちの夫はマイペースなところがあるので産後の生活はまだあまり想像がつかない。子ども好きなのは知ってるけど、好きと生活は違うからな。

実家の母は母で、あなたのご主人は忙しいんだから育児はあまり頼っちゃだめよ的な時代錯誤な事を毎回言ってくるので、頼むから放っておいてくれと言いたくなる(言っている)。

母は仕事においてはすごく男らしい部分があり、その決断力や実行力は男性以上だと感じるのに、プライベートになった途端、3歩下がってご主人を支えるのが美しいと信じ込んでいるのが見ていてすごく不思議な人だなと思う。

 

ただ夫は私がリクエストしたり怒ったりした事に対して、怒りで返してきたり無視したりという事はしない人なので、ここは母の前時代的な論理をとにかく無視して、何とか家庭内で協力体制を作っていくしかないなと思う。

 

まあ、先に無事に出産することなんだけど。

ここまで来れた事がまず奇跡なので、この奇跡を感謝しつつ、育児にまつわるエトセトラはその後考えよう。

2022年への年越しの頃には環境も大きく変わってるかな。

出産に立ちはだかる壁(mm)

今朝、コロナに罹患した妊婦さんの搬送先が見つからずに子供を自宅で出産し、早産だったため赤ちゃんが死んでしまったというニュースを読んで震えた。

 

自分が育ってきた日本という国でこのような事が起きてしまうなんて、もう政治は何も助けてくれないんだ。現場の救急隊員の方の尽力はあっただろうけど、結局はすべて現場まかせで、大元の大きなルールを変えていないから、もう対処できる限界を超えてしまっているんだろう。

 

私は商売している家で育っているので、現場と経営陣の乖離と怖さをよく知っているつもりでいる。サービス業なので命にかかわる事はないが、最初にルールを作って「こうやっていこう!」なんて言っていても、現場に出てみると悲惨という光景は今まで何度も見てきた。結局、机上の空論で解決することは少なくて、経営者や責任者が現場に出て初めて、問題点がよく見えてきて、現場で走り回る人達は目の前の対処でいっぱいいっぱいということはよくある。現場が一番しんどいけど、現場が一番顧客に近い場所で大切だから、そこから目を背けてはいけないのに。今の日本はその集大成という感じがする。これ以上状況が好転しないのなら、総理大臣や政治家は1日救急隊員でもやるべきではないのか。

 

私は今妊娠7ヶ月の妊婦で、妊婦だから出産にかかわることは助けてもらえるんじゃないかと何となく信じていた部分があったけれど、今日のニュースでこれはもう守ってもらえることなどないなと感じた。通っている産院でも、コロナになったら面倒は見られませんの一言だった。

 

この妊娠に辿り着くまで、気が遠くなるような時間と費用を費やしてきた。振り返るだけで涙が出そうになってくる。夫と結婚して早いうちから子供が欲しかった私たちは、結婚してすぐにブライダルチェックも受けに行った。そこで子どもができにくいと指摘され、早々から病院に通っていた。

 

不妊治療のフルコースともいえる、タイミング法、人工授精、体外受精、顕微授精をすべて経験し、しかも1度で簡単に子どもを授かるわけもなく、何度も病院を変え、自分たちで調べ、薬を変え、体質改善のために漢方薬サプリメントを飲み、食事を変えた。オプションで勧められた検査はどんなに痛かろうが高かろうが全て受けて、もうこれ以上できることはないだろうというところまできて、良い先生と出会いやっと赤ちゃんをお腹に授かった。3年間、県外の病院まで新幹線で通い費用は何百万円とかかった。夫はいつも協力的で、採卵や移植の時は仕事を抜けて必ず一緒に来てくれて、赤ちゃんができるように隣で祈ってくれた。命はお金じゃ買えないから、まだ妊娠可能な年齢である今のうちに、できるところまで治療の力を借りて頑張ってみようと手を取り合って努力してきた。

 

その甲斐あって、赤ちゃんを授かったと分かったときには喜び以上に怖さがあった。やっときてくれたこの命を逃すことはできまいと、妊娠出産にかかわることを最優先にしてきた。妊娠7ヶ月に至るまでも、不正出血や切迫などを経験し、自宅安静が1ヶ月以上続いたりしたが、家族はみんな理解してくれて私の体調を優先してきた。自営業で仕事をし続けてきた母は「仕事は50歳からでもいくらでもできる」が口癖で、厳しい人ではあるが私の状況を一番に理解してくれた。コロナ対策も含めて、この7ヶ月間、慎重に慎重に生活し続けてきた。自然妊娠した人を羨む気はないが、そこまで気にしなくても・・と言われることもあったが、こっちは何回も全身麻酔卵子を取り出し、移植し、祈るような気持ちでずっと過ごしてきたんだ。気持ち的には不妊治療していた3年間を含めて、妊娠3年7ヶ月くらいに感じる。自分だけが母親になりたいわけじゃない。夫や、親の喜ぶ顔が見たい、この世に新しく生まれてくる命を祝福したい。

 

いよいよ妊娠後期に入る。後期でコロナに罹患したら重症化の割合が高いらしく、最近はもうほとんど家から出ていない。ニュースで報道された方がどんな経緯だったかは分からないが、もうすべての命を助けられるキャパシティはこの国にはない。そこに至るまでの経緯が、人災に近いものであることが残念でならない。オリンピックをやめていれば・・鎖国していれば・・たくさんのタラレバで生きることができるはずだった命が亡くなってしまったことが、ただただ悔しくて悲しい。

 

政治家の皆さんの奥様が妊娠していて同じ状況になったら?苦労した末に授かった命だったら?みんな自分事にならないと分からないことが多い。でもだから、弱者の立場を想像して国を動かしていけるから政治家になったのではないのか。

今はとにかくこの嵐が過ぎるのを、身を潜めて待ち続けるしかない。どうか状況が好転しますように。国民がみな不安なく過ごせる世の中になりますように。

 

ホットクック戦士(mm)

もともと料理が得意というわけではなく、

なおかつ会社で余り物のご飯がもらえるというのもありあまり自炊してこなかった私。

だけど、会社も休業になり自炊せざるを得ない。

なんとなくの料理で回してきたけど、

ここにきてAmazonのプライムセールでホットクックを手に入れた。

 

ホットクック買ったからと言って材料切ったりするのは同じだしなあと思っていたんだけど、

これが想像以上に心強い存在になってくれた。

炭水化物マシーンの夫(炭水化物料理しかできない)でも料理できる。

 

なおかつ、まだ体調が安定しなくて、

立ちっぱなしが続くとお腹が張る私は、

とにかく立つ時間を減らしたい。

必要な材料を手早く切って、調味料を投入してボタンさえ押してしまえば、寝ていてもゲームしていても出来上がる!(しかも美味しい!)

 

興奮して1日に3回くらい稼働させている。

火を見ている時間が意外とストレスだったんだという事はホットクックを購入してから気づいた。ホットクックに任せたら、焦げる事もないし時間の管理もしなくていい。

あと「昨日のご飯どうだった?」とか喋ってくれるのがちょっとかわいい。

 

参鶏湯や肉じゃが、麻婆豆腐など作ってみた。

なお、炒め物より圧倒的に煮物向きっぽい。

ということで、しばらくご飯はホットクック先生に作ってもらうことになりそう。

 

18w3d(mm)

やばい、何もしてないのにあっという間に日数が経過していく。そして何もしない日々が既に非常に心地よくなってきている。

 

今の家に住み始めてそろそろ3年経つんだけど、知らなかったことがあった。

それは家のすぐそばにバス停があって、それもすごい頻繁にバスが来るのでほぼ待たずにバスに乗れるということ。

公共の交通機関をほぼ使用しない生活をしてきたので、バスの便利さを全く知らなかった。

最近は体調が良い日は本当に少しだけ出かけるんだけど、歩くとお腹が張るのでタクシーばかり使っていた。

ある日、近すぎてタクシー使いたくないなと思った時に目の前にバス停があることに気付いて乗ってみたらすごく便利で驚いた。

夫に話すと「僕もよくバスを使ってるよ、便利やんな」と言っていた。本当にこの人は日々のことをなんにも話さない不思議な人だなと思った。

 

先日、戌の日の安産祈願を終えて、少しホッとした。

東村アキコの漫画に、子どもが生まれるということは、小さな頃経験した全ての行事をやり直すということ。大人になると行事は面倒で、3月にお雛さんを祝ったり、5月に大将人形出したりもしなくなるけど、子どもがいるとその全てがあってメリハリがうまれる、みたいなことを書いていたけど、戌の日の安産祈願がその始まりのような気がした。

子どもの行事というのは周りの誰しもが喜んでくれる贅沢なものなんだろうなあと感じながらお詣りを終えた。

 

緊急事態宣言のお陰か、感染者数は底の今、また仕事は少し忙しくなってきていて、この流れを見ていると2ヶ月後くらいにまた緊急事態宣言なのかなあと思う。

出産と入院の時に家族立ち会いができるようになっていたらいいなあ。

 

16w3d(mm)

世間一般でいう安定期にようやく入ったんだけど、13週の終わり頃からお腹の張りと共に出血があり、かれこれ1ヶ月近く家から出ない生活をしている。

 

最初出血があったときは文字通り血の気が引いた。病院に電話をすると、さすがの対応ですぐに診てくれた。

という流れをかれこれ4回ほど繰り返し、出血の原因はいつもよく分からない、赤ちゃんは元気に動いている、張り止めの薬をもらう、とにかくあまり動かず安静に、というので家の中でひたすら転がっている。動かなすぎて筋肉はたぶんもうない。

 

あれだけ大喧嘩を繰り返し、関係性に疲れていた母親と関係性が良くなったのは妊娠のお陰だと思う。

夫は業種的に今が最高のオンシーズンを迎え、寝る以外仕事するみたいな生活になり、私を気遣ってはくれているが、食事が終わるとそのまますぐ寝てしまうくらい疲れてしまっていて先が思いやられる。

母親は、まだ産まれていないが孫のことになると異常な力を発揮し、すごい量の作り置きおかずを持って来てくれたり、家の掃除までしてくれている。そしていつも喧嘩の火種になる嫌味を言わなくなったので、精神的には助かっている。今日も、うな重が食べたいとラインすると、すぐにうな重が手配され、いつまでも妊娠期間だったらいいのにと少し思ってしまった。

 

もともとコロナの影響で仕事が休業続きではあったけれど、何かと仕事があるので会社には行っていたのだが、出血騒ぎからすっぱり仕事に行くのをやめた。ずっと家で過ごすなんていつぶりだろうか?

突然夏休みが来たような、でも出かけてはいけないので、映画を見たり本を読んだり、昼寝して過ごしている。

仕事ばっかりしていた時は時間があれば資格の勉強ができるのに!とか色々思っていたけど、いざ膨大な時間を目の前にすると、何にもやる気が起きなくて笑える。ただ、ダラダラしたいと言うのが、私が求めていたことなのかもしれないとちょっと思った。その割に1日が経つのは早くて、もう夜か、と毎日思う。

とは言え、暇は暇なので、熱中できることないかなー、ユーチューバーはすごいなとかぼんやり考えているだけで現実的な行動には何も結びつかないまま終わってしまう。

もともと出かけるのは好きなので出かけられないのはストレスだが、

コロナ禍でお出かけに制限がかかっているのも、出かけられないのは私だけではないという安心感は少しある。

 

早く安心できる状態になればいいなと願いながら、今日もぼんやり過ごしている。

 

P.S

ジュリのコメントに返信したいけど、

なぜか何度やってもコメントに返信できない!